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成田城 (下野国)[なりたじょう] 成田城(なりたじょう)は、栃木県矢板市大字沢村小字大久保に存在した日本の城(陣城)。別称として大久保城。 == 概要 == 成田城は、塩谷郡の国人領主である塩谷氏が、那須氏の城であった沢村城を監視し、攻略するために沢村城の南側に築いた陣城で、那須領と接している成田の地を守る役割も果たしていた。城は、成田に通じる峠道の入口に築かれている。築城の具体的年代は不明だが、正和3年(1314年)4月20日に塩谷氏が、那須氏の沢村城を攻めて落城させた記録があるので、この頃には築かれていたものと考えられている。 当地には、元禄4年(1691年)4月吉日に鎮魂のために築かれた塚と五輪塔と八幡大権現を奉る祠が残されており(大久保古墳)、そこにある碑文によれば、塩谷領成田の阿弥陀坂から沢村の大久保の地に出る道のこの地が、沢村城がよく見える高台になっていて、局地的な独立地形になっているため、防衛の第一線の拠点となり、何度となく戦が繰り返されたという。塩谷氏の歴代の沢村城代の記録が残されているが、沢村城が那須方の手にあった時は、これらの城代が成田城の城主を務めていたと考えられている。 廃城の時期は不明だが、塩谷氏が改易された文禄4年(1595年)2月8日までには、廃城になっていたものと考えられている。
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